最近、日本語を子供たちに教えるように僕に頼んだ女性から電話をもらった。最初は興味があったが、後では気が変わった。どうしてかというと、あの母親が家庭教師の料金を値切りたかったから。通常僕は一人一時間に300ペソを請求する。で、子供の生徒だったらそれは、フィリピン人にとっても、絶対に安い。あの二人の子供は4歳と6歳だって。
あの母親が僕の日本語能力なんかチェックしたり、スケジュールを確かめたりしてから、僕のいろんな答えに満足していたらしい。それで、料金にも同意したと思った。でも、何時間後でいきなり携帯電話メールで「丸さん、二人だから割引してください」って。アレ?? 二人の幼児だから実際により高く求めようとするべきじゃない?
残念ながら、数ヶ月前から日本語を教えるのをやっていなかったんだ。どうしてかというと、他の仕事で忙しくなったから。日本語が習いたいフィリピン人が多いと思うけど、僕は今時間がないので。
それでも、ダバオには日本語専門学校と日本語が教わる大学が増えてきた。下記は一部のリスト。
専門学校
フィリピン日系人会
CRK国際言語トレーニングセンター
大学
ミンダナオ国際大学
アテネオ・デ・ダバオ大学
ミンダナオ大学
フィリピン女子大学
フィリピン大学【ミンダナオ】
東南フィリピン大学
やっと難しい日本語能力試験の2級レベルに合格した!!!
実は、去年落ちたから、今は本当に嬉しいよ。ま、今回がんばったから、日本人の友達と練習としてよく話し合ったから。
友達が「それから日本へ行くの?」と言った。うーん。2級を持っていたら日本企業に勤める機会があるに違いない。でも違うよ。
もちろん日本に行きたいと思うけど、ずっと滞在したくない。あそこで働きたくない。だって、日本で仕事をしたら、働くしかないと思う。また、給料が絶対に高いが、生活費も高いらしい。だから、訪問としては行きたい。他には興味があまりない。
いい状況は、ダバオにある企業に勤めること。というのは、日本語を使えるとともに、ダバオの生活も続けられる。そして、自分の上達だけじゃなくて、他の日本語を学んでいるフィリピン人を手伝い続けることもできる。
ダバオはポテンシャルが高い。僕が応援できればそうしたいので、ダバオに居たいと考えている。
去年、非常にいい経験があった。
台湾で2005年7月9日から12日まで行われた『アジア学生会議』という国際的なイベントは、僕にとって、とても重要な経験となった。どうしてかというと、そこで各国から多くの日本語が好きな人に初めて会うことができたから。また、海外の新しい友達と親しくなれたことも貴重な体験だったと思う。
【下記は、2004年にマニラで行われた日本語スピーチコンテストで僕が発表したスピーチです。自分でテーマを決めて、そして草稿をつくった。それで、澤村信哉先生(僕のとても偉い日本語教師の一人)がスピーチを洗練してくれた。】
マルコスの時代から、すでに20年ぐらい経ちましたが、他の東南アジアの国に比べて、フィリピンは経済的にまだ発展していません。社会的な問題や景気の悪さで、たくさんのフィリピン人が国を去ることを選んでいます。残念ながら、フィリピンには、自分に合う仕事を見つける機会がほとんどないのです。だから多くのフィリピン人は、よりよい生活のために海外へ行かなければなりません。ここに残っていたら、家族と飢えを凌ぐことしか出来ません。
僕は、フィリピン共和国ダバオ市に住んでいる丸。数年前、日本人の友達、三宅一道、が僕にこのあだ名をつけてくれたんだ。フィリピン人だが、日本語を10年間以上で勉強している。最初に日本語を習ったのは、アテネオデマニラ大学の時代、副専攻として取ったんだ。それから、自分で学んで、そして2002年から2004年までミンダナオ国際大学で日本語学を勉強し続けた。
なぜ僕が日本語を習うのかを説明したいと思う。さて、始まりは14歳のころ。その時、柔道に興味があり始めた。数年前、ダバオでは柔道は人気があるスポーツだった。日本の教え方に比べられないけど、先生たちがうまいと思った。しかし、柔道用語は説明できなかった。世界のどこでも、柔道にある技の名前やルール用語などは日本語で紹介されることになっている。外国語が興味深い僕は、当たり前だが、「ウチマタ」とか「ハダカジメ」という言葉を理解したかったが、先生は通訳できなかったので、がっかりした。まもなく、日本語ができる決心がやってきた。だが、勉強の始まりが3年間かかった。
現在、日本語を教えていて、ダバオに住んでいる日本人に英語を教えもしている。さらに、僕は情報技術産業のコンサルタントとして働いている。
日本に行ったことがない。いつの日か行きたいが、いつ行くかをまだ決めていない。日本でもっと日本語を練習したいと思うのみならず、日本文化を体験したいんだ。





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